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控えめなマイノリティ

わたしについて

私が「自分らしく生きる」ということに強く関心を持つのには、

自分自身がなかなか「自分らしく生きられなかったから」という理由があります。

それはもちろん私の中では「ちょっとツライ思い出」ですが、

『すごーくおなか減ったことがあるから、ごはんの美味しさがわかる』みたいな感じで、今では「なかったからわかるありがたみ」になってます。

 

自分らしさを追い求めることを、『自分探し』という言葉で表現されることもありますが。

私は、自分というものはおおいに探すべきものなんじゃないか、と思ってます。

「自分」というのは「こういう人間」と決めつけて、ほおっておいたら楽かもしれませんが、成長すれば「自分」は変わりますし、成長しなくても時間が経てばやはり変わります。(生き物ですから)

「自分はこういう人間」と思っていたけど、成長したり時間が経ったりしたら「自分にはこんな面があった」という発見をするのは面白いです。

 

マイノリティな自分

今の時代「マイノリティ」という言葉自体が死語のような気もしますが。

子供の頃の私は「ちょっとマイノリティ」でした。すごく中途半端なんですが・・・この中途半端さがまたツライんですが、今となっては両方わかるからいいかなって、前向きに考えられます。^^;

 

どんなマイノリティかというと、私は「自分にしか見えないお友達がいる子」でした。そういうタイプの人にもいろいろあると思いますが、私のは「見える」というより「わかる」ぐらいので控えめっていうか・・・(その控えめさがまた、自分オカシイのかなって後々悩みになるのでどう転んでも困るんですが)

 

子供の頃から大人になるまで「自分はみんなと何か違う」というのはわかっていて、それはすごく引け目になっていきました。

それでいて、私は自分の「見えないお友達」とずっと交信していて、人生の大半の問題はそのお友達といっしょに解決していきました。^^;(応えてもらえるんで・・・)

そのおかげで私には人間のお友達がなかなかできず。ひとりでも平気な人に、出来上がっていったのでした。(しかも交信機能がみんなにはないことのほうが多いというのも、かなり近年になってから気づいたという・・・おかしいな、とは思ってたけど)

 

「自分はみんなと違う」ことだけは察知して、「みんなと同じじゃない」というのが引け目になってたおかげで(?)、私は自分のことを隠して育ちました。

その結果、学校は見事に落ちこぼれてましたが(笑)

落ちこぼれたおかげで面白い学生生活を送ることもできたし、昭和のあの教育や時代の中で自分を守ることができたんだなって、今は思えます。(親は心配させましたが^^;)

 

中年の危機

「控えめなマイノリティ」だったのも私には救いで、そういう能力に振り回されることもなく、そっちの道を極めることは選ばないで来れた私でしたが、人生も真ん中あたりに差し掛かるころ、中年の危機というものに遭いました。

中年の危機・・・って、なんだか響きがいまいちですね・・・。

それはさておき、「中年」という人生の真ん中あたりに来た私は、それまで生かされてこなかった自分からの訴えが大きくなっていった感じで。

つまり、私の場合は「見えないものがわかる自分」からの訴えでした。

自分の人生で葬ってきた自分を探って、掘り起こして、そもそもそれって何なのかしら?からたぐるため、沖縄のユタから調べ、心理学に出会い、エニアグラムに出会い、と色んな方面からアプローチしました。

 

今の自分

いろんなことを経て、「見えないお友達」とも再会を果たしたりもしましたが、それでも自分を受け入れるのにはかなり時間がかかりました。

今は・・・お仕事のことを考えると、こんなことブログとして書いていいんだろうか!?^^;と思う気持ちも、ちょっとはあるのですが。

私の周囲には変わった人が多いので、それに比べたら「私なんかまだまだだな」とも思えるので、勇気づけられてます。(?)

あと、中年過ぎたら人生も後半戦に入ってることですし!(笑)

自分の特性と経験を活かして、日本人の個性を伸ばすことに力が貸せるようになったらいいかなと思ってます。欧米人とは全く違う社会原理に生まれた私たち日本人は「個」というものにとても弱いのですが、今の時代は流れ的に「伸ばせる」方向なので、私もそういうことにどしどし賛同しますので。

また自分にできることが具体的に見えてきたら、ここでもお話していこうと思います。